ヒトスキズキな話

継続は力なりをモットーに続けている雑記ブログ。一応現在シーズン2的な扱いである。

気軽な出会いと責任

こんばんは。

 

GWが終わった後だと日曜日も非常に物足りなく感じますね。

 

早くももう一日が終わろうとしています。

 

 

最近友達以外で、私自身のパートナーになる、所謂「恋人」が恋しくなることがあります。

 

同性愛関連のアプリを触ったことがある方なら分かるかと思いますが、意外と自分の周りにそういう方々はたくさんいます。

 

まぁノンケがわざわざそのアプリを持ち出すことはまずないとは思いますが、カミングアウトしないだけで、アプリに登録している人だけでも結構いるということです。

 

ということは、アプリを登録していない隠れ同性愛者だっている訳ですから、もっとたくさんいてもおかしくはないということです。

 

思うのですが、それだけたくさん自分達の周りに同性愛者がいるという事実。

そして私を含めそれを公にできずにひっそりと生きている人達がゴロゴロいるということはですよ?

 

もはや同性愛が一般化しても何も変じゃなくないですか?

 

と感じてしまう訳です。

 

逆にここまで同性愛者が周りにいるということが認知されてくると、むしろ普通じゃないとか偏見持ちまくっている人達の方が少数派になってきているようにも思います。

 

 

昔はアプリやらインターネットやらほとんど普及されてませんでした。

 

なので、それが同性愛を持つことがおかしいと言われたら、たとえ隠れて周りの人達の中に紛れて同性愛者がいたとしても、おかしい事だから言えない、バレる訳にはいかない、という流れになり、結果、そういうのはおかしいから、ほんの少数しかいないと考えられてきたのだと思います。

 

ですがどれくらいの人がいたのか?と聞かれれば、おそらく人数比率的には現代とほとんど変わらないのではないかと感じています。

 

ただそれを表に出すツールがなかっただけで。

 

今は同性愛者はそういう人達だけで活動できるようなインターネットによるコミュニティや、お手軽にお仲間と知り合えるアプリ・サイトなど、ちょっと調べれば様々な情報が出てきます。

 

そうすると昔では考えられなかった、あるいは、知らなかった事実が公になってくるということです。

 

例えば、自分が思っているより結構身近に同性愛者がいる。

 

自分が過去に知り合った人をたまたまアプリで見つけてしまった。等。

 

私もたまにスマホのアプリで検索を掛けてみたりしています。

 

周りにお仲間が結構いることが分かっても、正直他人であることに変わりはありません。

 

言ってしまえば、男女の出会い系とさほど変わらないのです。

 

なのでそこに危険性がないか、犯罪性がないかということを確認して実際に動くのは完全に自己責任になる訳です。

 

同性だろうが男女だろうが、結局は人と人との関わりであることなので、相手がどうであれきちんと尊重できるところは尊重して、素敵な出会いができるといいと思います。

 

 

あ、もちろん未成年はまだそういうのには参加しちゃダメですよ?(笑)