ヒトスキズキな話

継続は力なりをモットーに続けている雑記ブログ。一応現在シーズン2的な扱いである。

心配事の心配

こんばんは。

 

一週間というのは早いものですね~、気が付くともう日曜日。

 

明日からの週は、ちょっと仕事が忙しくなりそうな雰囲気です。

 

 

突然ですが、私は ”心配性” です。

 

例えば、自分が関わる行事やイベント、催し物や集まりで行う事に対して、意味もなく心配になることがあります。

 

そんなものは、よくよく考えてみれば、”考えてもどうしようもない事・どうすることもできない事” がほとんどで、例え心配になったからといって、「だったら現時点で自分が何かできるの?」と聞かれれば、明確な返事ができないようなことばかりだったりします。

 

まぁ心配性ってそんなものですよね。(汗)

 

結局のところ、何が ”心配” になるのかと言えば、「自分に不利益なことが起こるのではないか?」「何か自分が恥をかくのではないか?」「他の人からの評価が下がるのではないか?」といったものが多く、そしてこういう風に挙げてみれば、どれも自分自身の事ばかりなのが分かります。

 

”心配” というのは、突き詰めていくと ”自分” の為に出てくる症状なのかもしれませんね。

 

あくまで個人的な考えではありますが、例えば、自分以外の「○○さんのことが ”心配” だ」というのは、一見、他人の為に心配しているように見えますが、これだって結局は、心配しているのは ”自分” な訳で、当の相手本人は、別に心配事でも何でもなかったりすることだってある訳です。

 

なぜ心配してしまうのか、というのは、心配することで「自分の心の準備、覚悟はちゃんと自分でできているのか??」「やり忘れたこと、準備し忘れたことはないか」などの自分の覚悟を再確認する意味合いと、単純に「ああなったらどうしよう?」「こうなったら最悪だ」など、起きてもいない事を意味もなく心配になるパターンが多くあるのではないかと考えられます。

 

前者は、自分のやり残しや、本当は準備や覚悟をしなくてはならないことを疎かにしていないかという自問自答の要素になると思うので、ある意味必要なことでもあると思うのですが、後者は、本当に準備や自分ができることをした上で出る心配事ならば、あとは天に任せる気持ちでどっしり構えることができます。

 

ですが、何も準備も覚悟もなく、アリとキリギリスの ”キリギリス” 状態であれば、まぁそれに見合った結果というものが後に表れるというもので、ハッキリ言ってしまえば、それが切羽詰まった状態なら尚更、心配したところでどうしようもないとも言えます。

 

 

なぜ、こんな話を持ち出したかというと、

 

実は今週は、職場に監査があるのです。

 

例によってその準備状況、ヒジョーにビミョーな感じです。(笑)

 

別に怠けていた訳ではないのですが、日常業務で手一杯な状況では、できる量は限られており、毎度のことながら、”腹をくくる” 的な覚悟をする必要があります。

 

それに伴い、当然心配事も多数出てくるのですが、

 

できる範囲で頑張って、それでもダメなら、もうどうしようもないかなと、一種の開き直りでもありますが、

 

人間、それも大事なのかもしれませんね。