ヒトスキズキな話

継続は力なりをモットーに続けている雑記ブログ。一応現在シーズン2的な扱いである。

勧誘された昔のお話

こんばんは。

 

コロナ感染者数がまた徐々に増えてきているような状況。

 

人々の不安も徐々に増えて行ってますね。

 

 

今日は昔の話をば。

 

昔、私が社会人になって2年目の頃、会社で大き目の事故を起こしてしまい、大怪我を負った私は、約1ヵ月程病院に入院していたことがありました。

 

入院生活は、会社で働いていた時の多忙から溜まっていた疲れを癒しつつ、怪我の静養もしていました。

 

その怪我をするちょっと前くらいに、学生時代にたまに遊んでいた友達から、結構久しぶりに連絡をもらっていたことがあったのですが、その友達とは特別仲が良いと言う程ではなく、気が向いたら一緒に遊んでいた、というくらいの間柄でした。

 

私が入院したということを、恐らく親か家族から聞いたと思われるその友達が、少ししてからお見舞いにきてくれたのですが、たわいない話の後、問題の話があったのです。

 

私もその時初めて経験しました。

平たく言えば、直接的な宗教の勧誘です。

 

宗教関連のお話は、あまり中身を詳しく挙げるとトラブルに発展しやすいので、詳しい内容の話は避けますが、要するに、私が大きな怪我と精神的に参っているところを入信の勧誘として狙ってきたのではないかと思われます。

 

事実当時の私は、事故の直前まで仕事や人間関係で精神的にかなり参っていて、怪我をした要因にも大きく関わっていただけに、その勧誘に強く断るという気力を持っていませんでした。

 

しかも私は入院中で、逃げようにも簡単に姿を眩ますのは難しい環境にありました。

 

勧誘も、脅す…という訳ではありませんが、入らないと何かしらの問題がある的な、良くありがちなやつです。

 

 

今思えば、私もかなり若かったのだと思います。

 

本当に嫌だったら、家族にも事情を話してその友達が来るのを遠慮してもらうようにしたりなんなりいろいろと選択はありました。

 

ですが、事故や怪我を引き起こし、「もうどうでもいい」的な考えでいっぱいだった私は、世間話の延長で、半ば強制的に入信という形を取ることになったのです。

 

一応フォローしますと、別にその宗教自体は悪徳だったり危険な匂いがするとかそういうのはなかったように思います。(まぁ深入りはしていないので定かではありませんが…)

 

結論から言えば、私は退院してしばらくした後、その友達と関わること自体しなくなり、自然消滅…ではないですね、私が一方的に距離を離したという形になりました。

 

 内心どこかで、罪悪感を感じていたのを覚えています。

 

まぁ今歳をとってから考えれば、正直必要ないものは必要ないとハッキリ言えるのですが、やはり若い頃というのはいろいろと不安を持って生活することが多かったように思います。

 

それにしても、直接の知り合い、それも友達として遊んだことのある人からそういう宗教の勧誘的なことを受けるというのは、なんかいろいろと寂しい気持ちがあるのも事実です。

 

勧誘にしてみても、ちょっと冗談交じりに「こういうのあるんだけど…」っていうような、別に入信してくれなくても問題はないよーみたいな、軽い感じならば気にもしないのですが、明らかにその宗教を(言い方は悪いですけど)妄信して勧誘してくる感じは、ちょっとした恐怖でもあります。

 

騙されているという言い方は良くないかもしれませんが、妄信を他人に押し付ける事ほどやっかいなものはありません。

 

なんてったって、心から信じ切っている人に外から何を伝えても伝わらないのですから…

 

 

学生時代、知り合いや友達がどんなに仲が良かったとしても、その後自分の知らない人生を送っていることは間違いのないことです。

 

こういうちょっとショックで寂しい変化もあるというお話でした。

 

 

当たり前ですが、勧誘を受け入れることは強制ではありません。

 

受ける側にも決める自由と責任があります。

 

いろんな考え方や生き方がある中で、他の考えに乗るのも乗らないのも自分自身だという意味を考えて、生きていきたいです。

 

そう、改めて思いました。