ヒトスキズキな話

継続は力なりをモットーに続けている雑記ブログ。一応現在シーズン2的な扱いである。

重要な岐路

こんばんは。

 

あなたは何か重大なことを決める時、重大な岐路に立たされた時、悔いのない選択をしていますか?

 

重大なことでよくあるのがお金の問題。

 

例えば、高額なものを購入する時、家や、土地、車、起業、独立、等々。

 

最近よく思うのが、これらのことを決めるような時、他の人の、こうしたらいい、こうするのが正解だ、という言葉に耳を貸す必要がないということ。

 

もしこれら重要なことの中に、自分が何の知識もなく、どうしたらいいのか分からなくなる時、その時は他の人の話を聞くのは重要だが、それ以上のことは耳に入れない方がいいだろう。

 

あくまで一つの選択肢としての話です。

 

そんな他の人の選択肢を、教えてくれたことに感謝するべきだが、その選択肢に対して自分がどうするかまで、意見してくることに関しては、蛇足だと思っています。

 

相手はもしかしたら、本当にあなたのことを思って言ってくれているのかもしれません。

 

しかし、もしその意見に、自分の意見と食い違いがある時は、絶対にそれを妥協するべきではないと考えます。

 

その妥協こそが自分の後悔になると知るべきです。

 

 

と、ここまで持論を偉そうに語って来ましたが、私がこれまで行き当たった選択の中で常々感じることでしたので、今回のネタにしてみました。

 

 

私の場合では、親戚がその相手にあたることが多いです。

 

特に、その親戚がしっかり者で、言っていること自体が正論だったりすると、自分の意見を通し難くなるものです。

 

私個人の……超個人的な感情を言わせてもらえば、一言で言って、非常にうっとうしいです。

 

もちろん心配してくれて、いろいろ気にかけてくれることに対してはとても感謝しています。本当です。

 

様々な面で助けられることもあります。

 

が、

 

それ故に、それが正しいことなんだと、たまに持論を押し付けすぎる面があるので、私自身で最終的に決めなければならないことは、最近では全く相談しなくなりました。

 

 

例えば、自分が勝手に決めたことを進めて、それが失敗したとしましょう。

 

しかし失敗して、ああ自分バカなことしたなぁと思ったり、あの時こうしとけば良かったと自分のやったことを振り返ることもあると思います。

 

ですがこの時、決して他人のせいにする要素がないのです。

 

人のせいにする要素がないということは、それが今後の自分の行動や、やり方の改善に自然に繋がり、それ以上悪くなることがなくなる方向に向かうと思っています。

 

つまり、失敗すらも自分の財産になるんだと思います。

 

私が、こんな風に思えるまで本当時間がかかりました。

 

例えば、他の人が言ったアドバイスに、あまり自分自身が納得しないまま進めたとします。

 

しかし、どこかで自分の心の奥底に、自分すら気づいていなかった本音と違うと感じる時がきて、あるいはその選択をしたことにより大きな失敗をした時、必ず、自分の責任の振り返りの中に、そのアドバイスをしてくれた人の記憶が浮かび、自分の本音の通りできなかったと悔んでしまうこと。

 

これが本当の後悔ではないかと考えています。

 

その時の後悔では、自分の財産だと感じれる要素は少ないように思います。

 

なぜなら自分の本音ではなかったのだから、自分の行動ではなかったのだから。

 

時には相手のくれた意見やアドバイスが、自分の気づけなかった本音に繋がることもあるかもしれません。

 

その時は特に相手に感謝をして迷いなく進めるのですが、なかなか全部が全部そうではないです。

 

よく精神的な話で、自分との対話を大事にしろ的なことを本で読んだり、聞いたりしますが、本当にその通りだと思います。

 

自分が何を望んでいるのか。

 

どうしたいのか。

 

何が絶対にやりたいことで、何が絶対やりたくないことなのか。

 

どのような生活をしたいのか、したくないのか。

 

どんな人生を過ごしたいのか、過ごしたくないのか。

 

大事なことなんだなと感じています。

 

 

逆に、他の人や友達などが、岐路に立たされている時、迷っている時、絶対に自分の意見を押し付けて、無理矢理そちらの方向へ向かせるようなことはやめてあげてください。

 

その人が迷っていること、その結果決める選択、その選択の結果。

すべてその人の財産です。

 

アドバイスするならば、あくまで自分の意見を一つの選択肢として取ってもらえるように、相手の立場になって考えてあげてください。

 

自分の成功が相手の成功とは限りません。

 

逆に自分の失敗が相手の失敗とも限らない訳です。

 

自分と相手は違います。

 

同じことをして全く100%同じ結果というのはないハズです。

 

そしてどんな選択肢にも、その人の中で完結することならば、一般的に正しいも間違いもないです。

 

そこを踏まえた上で、その人が必死に考えて出した答えを暖かく見守ってあげるのがいいと思っています。

 

間違いがあるとしたら、その選択肢をしたことでたくさんの人が迷惑をする結果になることが分かっていたり、他人を踏みにじったりすることではないでしょうか?

 

人間性の問題はとても難しいかと思いますが、基本的にその失敗が勉強になることであれば、OKなんだと思います。

 

 

人のこととなれば言いたいだけ言えますが、自分のこととなると途端に難しくなります。

 

皆が皆、自分の選択に自信をもって、そして勉強をして成長していけたらいいですね。