生き急ぐ日々
こんばんは。
今年が始まって早1月が経とうとしています。
ホントに早いですね。
歳をとると、月日の流れが早く感じるといいます。
自分達の記憶だけは、昔を結構覚えていたりするので、その昔の自分と同じくらいの子供を見たりすると、自分は歳をとったんだなとしみじみ感じてしまう訳です。
二十歳そこそこで子供ができた同級生がいたとしたら、もう中学に入る頃でしょうか。
なんか笑っちゃいますね。
これがもっと歳をとった時、更なる絶望を感じることになりそうです(笑)
ちょっと前に、行き急ぐ気持ちが非常にあった時がありました。
とにかく何かやらなきゃと、焦っていた時期です。
今は、もうそんな自分すら楽しもうと決めたので、さほどそこまでの焦りはなくなりましたが、それでもずっと何もしないままただ時間が過ぎるのを待つのは、あまりにもったいないような気がします。
皆さんは、何かにチャレンジとかしてますか?
フットワークの軽い人だったり、いろんなことに積極的に取り組む人は、素直に凄いと思いますし、尊敬します。
自分も見習おうと思いつつも、何がしたいのか出てこないという状況です。
しかし、最近自分自身思うのは、やりたいことが見つからないのは、単純に、真剣にそれを考えないからではないか、ということです。
つまり自分のことを考えるのも億劫になっている、自分の怠けた頭にあるのではないかということ。
そこにワクワクした感覚を持てないのも、想像力を膨らます労力を、無意識化で働かせていないことにあるのではないかと考えます。
脳内ニートのようなものです(勝手に名付けました)
脳内ニートになっていて、自分がこれからどうしたいのか、何をするのが自分が一番好きなのかなどといった、自分に対する自分の意見を考えるのを放棄していると思われます。
あるいは、昔、親や自分より上の立場の人から、おまえは何をやってもダメだと、それとなく植え付けられた根幹の考えが、強く根付いていて、自分でも気づかない内に自分を卑下したりして、動けないでいるとも考えられます。
そして、結果自分がどうしたいのかという考えを無意識に抑え込んで、ただ流れに乗って、周りに良い悪いを振り回される状態になっているんだと思います。
ガバガバな、サラッと書いてきた意見ですが、ニュアンスだけでも読み取ってもらえると嬉しいです。
何れにしても、どのような自分になろうとしても、結局最後は自分が動かなければ何も始まらない訳です。
行きつく結果が同じなのであれば、あとは身を放り投げる勢いで、(ホントに捨て身でも困りますが)やれることをやってみなければ始まらないのだと、いつものように結論付けて、私は今日も生きています(笑)