高校時代の中で
こんばんは。
第一回の記事の続きという程のことではありませんが、私の高校生時代を振り返ってみます。
私の通っていた高校は男子高でした。
当然生徒は男のみで、気持ち的には女性に気をつかう場面もなく、割とオープンな学生生活を送ってきたのではないかと思います。
高校生にもなると、地元の人以外にも、全然自分の住んでいるところと接点のない生徒とも一緒になるので、非常に新鮮だったのを覚えています。
中には好みのタイプの生徒もいました(笑)
だからどうしたということはないのですが…
流石に高校生ともなると、友達100人できるかな~のノリは皆無なので、みんなそれぞれ居心地のいいグループが自然にできていました。
私もそんな中の一人でした。
勉強に部活動と、人並みに頑張ってきて、特に目立つようなこともなく、ただただ平凡な日々だったように思います。
しかし、やはり自己形成がほぼ完成している15歳16歳あたりになると、いろいろと個性のあるキャラが出始めます。
やんちゃしている人や、おとなしい人、男らしい人や、オネエ系な人…
小学生、中学生では、イジメの対象になりそうなキャラでも、皆流石に大人になっているだけあって、そういうのはなかったように思います。
あるいは逆に男子校だったから、そこまでジメジメするようなことも少なかったのかもかもしれません。
特に共学か男子校かにこだわりはなかったので入ってみましたが、これはこれでよかったのかもしれません。
ただこの頃には私が同性愛に目覚めていると自覚が、やんわりとあったように思います。
ですがこれは一時的なもので、自分が男子校にいるから、女子との接点を持っていないから感じていることなのだと、心のどこかで言い訳をしていた気がします。
ちょっと生々しい話になりますが、この頃…いやこれ以前から、オ〇ニーのおかずはほとんど想像から来るものだったのですが、内容はほぼ男性でした。
この時点ですでに確定していますね(笑)
実際に女性と話をしたら…付き合ってみたらどうなるのだろう?と考えたこともあります。
考えてみると、恐らくそこまで心躍らないんだろうなという自分の結論に至ってしまうのです。
この高校時代というのは、恐らくその後成人して人生を歩んでいく上での方向性で、大きな要素があったように思います。
高校入学で、所謂高校デビューと言われる人格が変わったり垢抜けたりするのとは違って、高校卒業して急に人が変わったというのは、そこまで多くないのではないでしょうか?
つまり高校で性の方向性が決まったら、まず変化することがないか、あるいは変化する要素が少ないかということです。
あくまで私見なので、何の根拠もないのですがそんな気がします。
あの頃は自分自身のことしか考えられなかった高校時代ですが、今自分が大人になってみると若い姿というのは、非常に魅力溢れていたのかもしれないと感じることが多々あります。
よくゲイのアプリとかでも、年齢差の振り幅が大きくて、学生卒業したてからおじいさんまで様々います。
もちろん高校生で使用はできませんが、若い時にいろいろやっておけばよかったという月並みな言葉が似合ってしまう年齢になってきてしまっています(笑)
まぁ大体の人が、多かれ少なかれ思うことなのかもしれませんね。
大体が時間が過ぎてから、ああすればよかったこうすればよかったと後悔をするものですが、あの頃に戻ったとしても、今の記憶が引き継げなければまた同じ事をしてしまうと思います。
引き継げたとしても、別の選択が果たして良いのかどうかは、またやってみないと分からないことの繰り返しなのです。
高校時代に関しては、私は特に取り立てて後悔していることはありません。
よく同級生とかは、共学に入って彼女作ればよかった~なんてことを話していることもありましたが、共学に入ったからといって彼女が作れるとは限らない訳です。
私自身は女性にあまり興味がなかった時なので、別にそこに後悔をすることはない訳ですが。
私が後悔するのは、どちらかというとその卒業して社会人になった後の方なのですが、その話はまたの機会にお話しできたらなと思います。
何れにせよ、中学生が子供から大人へと変化する段階ならば、高校生は準大人といったところです。
ほぼ大人ですが、社会人に出る前段階の一つとも捉えられます。
前段階は、大学や専門学校などにもあると思うので、あくまで一つで、です。
男子高校生といったら、女子に恋をして付き合ってなどのプロセスが割と一般的なところがありますが、同性愛となると、なんというかこう、どうしたらいいか分からないというのが本音だと思います。
下手に動くと法に触れるから、自分を売り込む(笑)こともできないし、かといって学生なので生徒内での同性愛ネタは自殺行為に近いです。
成人した社会人の社会内でもそうですが、一般学生でも同性愛に関する価値観が変わっていく世の中が来るのでしょうか?
前にも記事に書きましたが、確かにほんの少しずつではありますが、同性愛の見方は変わってきています。
非常にゆっくりではありますが、それがせめてもの支えです。