ヒトスキズキな話

継続は力なりをモットーに続けている雑記ブログ。一応現在シーズン2的な扱いである。

人を好きになること

はじめまして。

この度ブログを開設しました。

 

私の名前はまだ決まっていませんが、まずは続けられるようにチャレンジしていきたいと思います。

 

今回このブログの趣旨というか、テーマは、同性愛について。

 

そうなんです。もう初めに言ってしまいますが、私は男で、所謂ゲイというやつです。

ここまで見ていただいて、気分を害された方や、この手の話題が苦手な方は、閲覧を控えていただくのがいいかと思います。

 

ただ私自身ふざけてこの話を選んだつもりはありません。

世間一般に同性愛が認知され難い現状で、少しでも同じ境遇の人に、あるいは現実問題として興味を持っている人に考えてもらうヒントになればと思い、書いていきたいと考えています。

 

基本は私や周りの出来事ですので、大したことは書けないかと思いますが、観ていただけたら幸いです。宜しくお願い致します。

(この記事を書いた時はまだ他のデザイン等はさっぱりできてませんが、こちらも追々作成していきます)

 

 

さて、第一回目は、人を好きになることについて。

ここで言う、人を好きになるというのは、今回は恋愛的な意味でとします。

 

あなたは初めて人を好きになったのはいつですか?

当然子供の頃、物心のついた頃以降でないと自覚もできないでしょう。

 

当時の家の近くに住んでいた幼馴染かもしれませんし、幼稚園や保育所、小学校の頃のクラスメイトかもしれません。

 

それが好きになることだと自覚もしていなかったかもしれません。

 

もしかしたら、この人と一緒にいると楽しいな、嬉しいなと思うことの、ほんの少し進んだ感情なのかも。

 

その人が別の人と仲良くしていると嫌な気持ちになる。

子供ながらにそんなことを感じることもあった思い出もあります。

 

でもその一緒にいていいなと思う人が、異性か同性かなんて考える余裕は、少なくとも小学生の頃までの間にはなかったように思います。

 

その間に人は、男は女の人を好きになって、女は男の人を好きになって、付き合って、結婚して、家庭をもって、子供をもって、が、当たり前と自然に、ごく自然に教えられて、様々な情報から刷り込まれてきたんじゃないかと感じています。

 

もちろんそれがすべて悪いという訳ではない。

ただその当たり前が周りの常識となり、他人を見る基準の一つになり、結果、精神的に成長していく中で、傷つく必要がない人が傷ついていく要因になるのではないかと、今にして思えばそう考えてしまいます。

 

肉体的にも精神的にも大きく飛躍して成長しやすい中学生時期。

この辺りに入ると、身体の成長もあってか他人の身体のでき方にも興味が出てくる頃。

 

私は男なので、男子目線からすると、どの女子の胸が大きいだの小さいだのと、決して大きな声では言わないが(人によってはふざけて騒いで言う人もいるだろうが)密かに男子の話題に出たり、それと同時に他の男子のち〇こが大きいだの毛が生えただの触っただのと言って騒いだりすることがありました(笑)

 

思えば私はこの頃に同性を好きになる要素があったように思います。

しかし、私は中学2年の時、ある女子から告白され付き合うことになりました。

 

この頃、誰が誰と付き合うとか、付き合っているとか、学年ブームのような状態になっていて、今思えばその空気に私もその女子も流されるような形で付き合っていたんだと思います。

 

結果として長続きせずに別れることになります。

 

それは私が男に興味を持っているとはっきりと自覚する前なので、それが要因ではなかったのですが、結論から言えば私の優柔不断なところが彼女の不満になった形となりました。

 

ただ私も彼女が本当に好きだったのか?と聞かれると決してそんなことはなかったんだと思います。

 

小学校中学年くらいまでは普通に男子女子分け隔てなく話せていたのも、高学年から中学生の当時まででほぼ女子への免疫が薄くなっていたのもあるし、そんな時にそこまで親密に話をしていなかった相手から急に告白されて、ハイ、好きになりました。となるのは、後から考えるとかなり無理があったように思います。

 

もう一つは…これは書くとただの愚痴にしかならないので、サラッと流しますが、付き合っている時私は男子のよく話す友達がいたのですが、その男子があまり人受けするタイプの見た目ではなく、彼女にその男子と話すのをやめてほしいと突き付けられた時から私の中でも不満が育つようになっていったのが優柔不断の要因の一つとなりました。

 

私の場合は運動部に所属していて、放課後も毎日身体を疲れさせていたのでそこまで周りのことを考えている余裕もなかったけれど、この中学生時代に、人を好きになる性の方向の感じ方と、世間的な常識との違和感に悩む人もいたのではないかと思います。

 

その後義務教育を終えて、高校では更にそれが表面化してくるようになるんだと感じています。

 

全てのことは一回では書き切れないので今後少しずつ出していけたらと思っています。

 

 

ただここまでで感じるのは、小学生の頃にしろ中学生の頃にしろ、もしかしたら人に言えないだけで同性を好きになることだってあったかもしれないのに、もしそうなった時にあえて自分で気づかないフリをしたり、気持ちに蓋をしてしまうのは、本当に良いことなのだろうか?ということです。

 

確かにそこで公にすれば、今の環境では、ほぼ間違いなく好奇の視線に晒され、イジメの要因にもなってしまう可能性もあります。

 

昔に比べたら確かに同性愛に対してちょっと距離を置かれるくらいで、明らかな攻撃をする人も少なくなっているのかもしれません。

しかし環境と人によっては、酷いことを言われたりされたりするのが消えた訳ではないと思います。

 

本当に重要なことはもっと簡単なことです。

 

たとえ異性でも同性でも、人を好きになることはいけないことですか?

異性は好きになることは良くて、同性は好きになってはいけないことですか?

 

好きになることは頭だけで考えてそうなる訳ではないと思います。

もし同性同士が不快だと、いけないことだと生理的に感じることだとすれば、

何かのきっかけで同性を好きになってしまうこともまた生理的に感じることです。

 

同じことです。

 

もし受け入れられないならせめて

お互いに誰も傷つかないように、攻撃せずに優しく見守ってほしいと

そういう世界であってほしいと願います。

 

 

まともに文章にする機会がないので、所々拙い文ではありますが、

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

ちゃんと続けられるかな(笑)